NPO法人
情報共有ネットワーク
 
(旧)コミュニティ共有くまもとは この度「NPO法人情報共有ネットワーク」へ名称変更致しました。
開かれた情報提供に関する活動を通じて共生社会の創造と公益の増進に寄与できる事を目指してまいります。
 
 
《2020年2月・各地のビデオ視聴会》
市民レベルでのビデオ視聴会を開催してまいります。
2020年2月は、VIDEO発売元JCETI様にご理解ご協力を頂きまして下記となります。
   
2014/12/18

読者の方からのご質問に対するお返事:「『救われ』に関する私の見解」

転載元:スタッフブログより
https://ameblo.jp/kame2468/entry-11965793831.html

読者の方からのご質問に対するお返事:「『救われ』に関する私の見解」です
2014年12月18日 00時41分00秒


読者の方からご質問を頂きました。よくあるご質問ですのでここにお返事を掲載させて頂きます。

====================================
[投稿日時] 2014年12月13日 21時56分47秒
■お名前 : M (様)
■メールアドレス :*************
■お住まい(海外)アメリカ
■メッセージ
ほんとうがいちばん、読まさせて頂いております。質問なのですが、もうすぐ来る来たるべき時に関してですが、私の主人はこういったオカルト的なこと、陰謀に関しても一切信じない人です。こういう人達は救われるのでしょうか?どの程度の基準で分けられる事になると思われますか?よろしくお願い致します。
━━━━━━━━━━━━━━━━


海を越えてのアメリカから私共が発信するブログをご覧頂きまして誠にありがとうございます。頂きましたご質問のメッセージ、お応えするのに大変お時間がかかり申し訳ありませんでした。

さて、メッセージの内容「来るべき時」「救われ」そしてその救われの「基準」に関しましてのご質問ですが。まず初めに、この類のご質問に対しまして、このようなメールの活字で、しかも単一の文書だけで私の個人的な見解をお伝えすることは(私にとりましては)かなり難しいことで正確にお伝えできるという裁量を私は持ち得ておりませんことをお詫びしなければなりません。

まずは、こちらをご一読くださいます様お願い致します。

★編集方針「ほんとうがいちばん」について
http://kyouyuukumamoto.p-kit.com/page303759.html

この編集方針をご理解いただいたうえで、私の見解を綴らせて頂きます。あくまでも《私の個人的な意見》です。重ねてご理解をお願い申し上げます。

◆◆「どうなるのか?」より「どうするのか」ということ

この類のご質問は、これまでにもかなりたくさんのメールを頂いてきましたが、日々時間に追われるように過ごす中で、そのつどお応えする事が叶わず時間が経ってしまったこともあります。お返事が出せないままで失礼…となってしまった方も沢山ありました。今回もどのようにお返事させて頂こうかと考えながら既に数日過ぎてしまったのですが、私からお伝えしたいことが一つだけあります。それは「どうなるのか?」ではなく「どうするのか」ということに尽きるということです。


◆◆「救われの基準」は誰かが決める訳ではない

世界は拡張の速度を増しており、私たちの目の前の事象の現われは実に多様性極まるものとなっています。そのような現実社会の中で、個人が「現実」として体感すること(選択すること)は千差万別、それこそ自由意志です。それが制限されることもありません。お便りの中で「オカルト的なこと、陰謀に関しても一切信じない人」という表現がなされていますが、陰謀論を理解しているからといって「救われる」わけではありませんし、また「救われの基準」を誰かが決めるということでもありません。


そもそも人間の「救われ」とはどのような状態なのでしょうか。

苦しみの後に使われる「救われ」という言葉、それは個々の感情を表した表現ですが、似たような言葉に「報われ」というものがあります。

 これも私の個人的な主観ですが。

 ★救われ⇒受動的(受身・自力でないもの)

 ★報われ⇒能動的(自立・努力の後に訪れる感情)

 

◆◆自分自身が「既に救われている」ことが大事

・・・ということで、私は「救われる」という言葉よりも「報われる」という言葉の方を常々選んで用いるようにしています。同じ事象に遭遇しても個人個人で感じることに全く同じはありません。そんな意味で、現在「苦しみに満ちている地球環境」ですが「救われ」や「報われ」を体感するという体験、その条件も個々千差万別、決して誰かが決めれる類のことではありません。大切なことは「どうなるのか」という外的要因ではなく「どうするのか」「どうしたいのか」ということです。少し難しい表現になりますが、ご主人様が「救われるのか?」と考えることは、自分と相手を分離しているものとして捉えている思考基準ということになります。

ですからまず、自分自身が「既に救われている」ということが大前提であり、「既に救われている自分」であれば、無条件に身近な愛する家族も当然「救われる」「そう信じていられる」。そういうものなのだと私は理解しています。

こういう活字ではうまくお伝えできないことをもどかしく思いますが、過去に記した記事の中にお答えに近いものが数件ありますので選んでみました。ご参考にして頂ければ幸いです。


■「知る」は光・「知らない」は影(暗闇)
-知るの連続、そのプロセスがアセンション
2012-10-09|毎日ありがとうございます♪より引用

よく尋ねられることを並べてみます。
◆暗黒の3日間はくるのでしょうか?
◆意見の合わない私の家族と離れ離れになるのでしょうか?
◆FRBは倒産したのですか。でないとしたらいつでしょう?
◆今年の年末が気になって来年以降の計画が立てれないのですが
◆配偶者、家族と話がまったくかみ合わなくて
◆お金の支配社会はいつまで続くのでしょう・・・などなど

全て「どうしたらいいでしょう?」というものばかりです。当たり前ですね。これだけ情報が乱れ飛んだ世界で生きる私たちにとって、それは無理もないことです。そう思うことが当然だと私も思っています。
しかし、これが「終わり=始まり」のサインです。
全文⇒http://ameblo.jp/kame2468/entry-11375041654.html


■読者の方から頂いたコメントに対するお返事:
「『疑い』についての私の見解」です
2012-12-28|毎日ありがとうございます♪
http://ameblo.jp/kame2468/entry-11436446848.html


■2012年12月12日からの9日間、
地球の次元は2つに分かれるという説を考える
2012-08-26|毎日ありがとうございます♪
http://ameblo.jp/kame2468/entry-11338279291.html


■幻想の世界と真実の世界:
再び地球の次元は2つに分かれるという説を考える
2012-12-20|毎日ありがとうございます♪
http://ameblo.jp/kame2468/entry-11430955507.html


■自分に中心をあわせて自分の内側からの“導き”を求める方法
2012年:すべては絶妙のタイミングでおこっている
2012-01-22|毎日ありがとうございます♪
http://ameblo.jp/kame2468/entry-11142536608.html

どんな状況に応じる時でも、自分が「ただある存在」の感覚に調整されていることがとても大切なのです。この神聖なる意識のレベルから、いつも自分に問いかけることが大切です。
◆私はこの状況にどう応じるだろうか?
◆私の思考、言葉、感情、行動を通して、
 私の信念、態度を通して、今何ができるだろうか?
◆どうしたら光の世界に光を増すことができるだろうか?

そうすると、私たちは「ただある存在」としての自分自身から、聖なる導きを受け取ることになるのです。

以下のことを、常に自分に問いかけてみることです。
◆このあり方とは、恐れとは無縁のものだろうか?
◆このあり方は、この状況に対して最善のものだろうか?
◆このあり方は、これに関わっている全てのものにとって最善のものだろうか?
◆私はこのあり方で、光の世界に光を増やしているだろうか?

もしこれらの質問に対して一つでもNOという答えがあるとしたら「ただある存在」からの導きが来ることはないのです。それは、単に過去の産物である人間のエゴ、記憶と習慣通りに対応しているだけなのです。そのような古い習慣から対応していくのではなく、私たちは「ただある存在」としての自分に中心をあわせて、もう一度導きを求める必要があります。

これは必要なら何度でも行なうことができます。
それら全ての質問にYESと応えることができるまでやり続けるのです。
「ただある存在」としての私たちは、とても実用的なのです。
ですから、その導きは目に見える形で結果を出し、私たちと周りの人々の人生を強化してくれるのです。
ソース:http://youtu.be/28qSfgbKDQc