導引教室:講師紹介(インタビュー)              
 
  
コミュニティ共有くまもと理事
田代一生 (導引術師)
(有)たしろ屋 会長(創業者)
私たち現代人は気(エネルギー)というものを、 なんとなくイメージすることはできるのですが、 気(エネルギー)とかかわる術については ほとんど知ることなく日々を生きています。

このたび より多くの方々と、その「教え」と 「心身の健康法」 を 分かち合いたいという 思いで、導引教室を開催することになりました。 

開講に先立ち、本会理事の田代講師に 「導引」について、またご自身の「人生」経験に ついて貴重なお話をじっくりと伺うことができましたので ここにご紹介させていただきます。

 
本物(真実)を探して…導引とのご縁について
  
  
私が生まれた年は世界大恐慌が始まった年で、世の中全体が戦争という大きな渦の中に呑み込まれていく時代でした。戦争の気配が色濃くなる中で、幼少期の私はとても病弱で、どうしたらたくさん食べられるかと周囲を悩ませたほどでしたので、常に健康になりたいという切実な思いを抱えて多感な時期を過ごしました。
  
その後戦争に突入し思春期に敗戦を迎えたわけですが、当時の時代背景に流れていたものは「白を白と言えず黒を白と言わなければならない」という思想でしたから、そんなやりきれない矛盾に対する漠然とした憤りや悲しみや切なさが、後に私を精神世界、魂の学びと真実の追求へと導いてくれたように思います。
 
  
いくつかの宗教経験も経たのですけれども、いつもあるところまでいくと同じ壁に突き当たりましたね。何かが違うと。
  
そんな思いで真実を求めていた時、この導引とのご縁がありました。福島県で門下生が募られていると聞き、友人と訪ねて即入門しました。日々の仕事もありましたので、習得するまでは熊本から福島までの通いでしたが、 そこで導引術、洗心術、大東流合気術を習得しました。
 
中心思想は三つの教え、6年間でおよそ300人に伝授
  
それからしばらく経ったある時、道場から呼び出しが来たんですよね。 とにかく来るように言われただけでしたので飛んでいくと、「この教えを是非広めてくれ」という師からのお話がありました。 当時、教えを習得して教室を開いていた人達もありましたが、その時のお話は、教室ではなく 「道場」として教えを広めてもらいたいという事で、そこでいただいたのが「日本道観・神風連道場」という名前でした。
  
老子の教えに「万物斉同」、「絶対無差別」、「無為自然」というものがありますが、この三つを道場の中心思想に掲げて昭和54年のスタートでした。九州内のあちこちから日々たくさんの人が訪ねて来られまして、ちょうどその頃ある雑誌に掲載された事も手伝ってか、関東その他遠方の方にもご縁がありました。
    
やはり、訪ねて来られる方は病気で悩んでいる方が多かったですね。 重病の人は治療してあげていたのですが、中には自分の病気を告げずに受けて、後に治ってから「実は私は…」と長年患っていた病を告白されたことも多々ありました。
  
ある病院からは、なかなか手に負えない患者さんを送り込まれていて、心臓病やあらゆる内臓に関わる疾病、リウマチ、肥満体質改善、パーキンソン病など様々でした。他には背骨が曲がっていてまっすぐ寝たことがないという方が改善できたり…また、習得した後に本格的に学びたいということで仕事を辞めて本部に内弟子になりに行かれた人もありましたね。昭和54年から60年まで、およそ300人の方と導引を通じてご縁を深める日々を過ごしました。  

行を極める日々の中、人間の病の根元を知ることに   

そんな日々の中、ふと心の底から突き上げてくる思いがありました。 術を習得して病気が改善し元気になっても、又再び何らかの体の不調を抱える人の姿も目にしなければならなかったからでした。
 
結局、病気が治っても「病気の原因になっている相対的な考え方」が残っていると同じことを繰り返すだけだ…。その事が常に頭から離れなくなりました。
  
たとえばそれ(相対的な考え方)を自覚して、日々行じていても対人関係などのストレスで人はいとも簡単に病んでしまうことも目の当たりにしましたので。
人の苦しみとは、単に肉体で感じる痛みを指すわけでなく、その根元は常に心、意識に宿っているわけですから、自らの魂に辿りついて「自分とは何か」と、悟らない限り一切の苦しみから抜け出せないと。  

真の悟りを求めて道場全盛期に方向転換を   

そうなんです。実際のところ、自分自身も“全身の感覚”でそこをつかんでなかったから、全身全霊でそこをつかまないと同じことではないかと、そんな葛藤を抱えるようになっていました。お釈迦様の教えにもあるように、「行」だけでは悟りに辿りつくことはできないと。
  
そこで、ここで一旦「行」を休んで「自分探しをやるから」ということを周囲に告げて、道場を締めたわけです。 これからは「意識」だけで行ってみよう、そんな感じでしたから周囲は驚きましたけれども…。  

田代先生のもうひとつの顔 『豆腐職人』
昭和26年創業の
たしろ屋で日々「意識」をみつめて
たしろ屋HP

詰まるところ人間は、仕事の場が道場なのです。   
自分の持てる能力を磨き、利他の精神で日々そこに従じていくうちに人は色々な気づきを得ることができる。このことは、敗戦と同時に社会人として世に出て職を得なければならなかった、そんな厳しい経験の中で得た教訓でしょうか。人生とは厳しいけれども、まんざらでもないもので、至るところあちこちに“奇跡”のような出会いが満ちています。
  
豆腐職人の朝は夜中ですから、しんと静まりかえった静寂の中、自分の意識の奥の奥に入っていきながら、祝詞を奏上し、水に感謝しながら大豆を洗うところから始まるんですね。  

繊細な感性が求められる職の場で磨かれていった「意識」   

そうですね。何億粒の大豆に、ありがとうと言ったでしょうかね。 水にもありがとう、そしてきれいに洗って一日が始まります。 ありがとうと言ってうつ“にがり“・・・。
  
特にうちでは熊本県産の自然の恵みと向き合う仕事ですので、生かしていただいている大地と水(地球)に向かって感謝を捧げる、これが基本ですね。道場に中心思想として掲げていた老子の教え「万物斉同」、「絶対無差別」、「無為自然」は、ここでももちろん活きています。
  
豆腐を切る時はまさに精神統一の修行の場なんです。湯葉豆腐などは特に…「動の瞑想(意識)」で、動きながら瞑想状態に入っていくという感じですね。  

ディスクロージャー“S・グリア博士”の著書がきっかけに   

道場を締めてからも、ありがたいことに尋ねて来てくださる方がありましたが、自分の中での「意識」の到達点はなかなか見つかりませんでした。 それをつかんだら、また「やろう」とは思っていましたけれども…。
  
今、道場を締めたあの時から二十数年、やっとその門の前に立つことが出来たと嬉しく思っています。
結局、悟りなんですよね、 自分の真我、最高の悟り、到達する道を示してくれたのがグリア博士だった。

宇宙の大元の意識、創造主、全ては一つであるという(老子の教え)も中途半端にしか実感できていない自分でしたが、グリア博士の「UFOテクノリジー隠蔽工作」を読んでいくうちに、その謎が解けていきました。

それは、グリア博士ご自身の体験、生き様の中に詳しく描かれていましたよね。読みながら大きな気づきをいただきました。
  
今、ここに、過去のすべての体験が繋がってきたように思われて、これまでの「自分探し」の旅の意味がはっきり自覚できましたね。常に、二元性の統合ということを中心に据えて生きてきたつもりでしたが、どうして到達感が得られなかったのか、ようやくはっきりとしてきて、これまでの人生経験の中で見たものがすべて繋がっていった気がしました。
  
コントロール社会、それを作り出していたのが「闇の勢力」だということは頭では知っていましたけれども、はっきりとそれを事実として認識し深く理解することがこの本のおかげでできました。
  
「業を取るは難しい」という自分の中の思い込みが常に邪魔をしていたということも、難しいといわれていた事さえ「コントロール術」だった…、それを再確認することができた時に、「本当の頂上につながった」という感覚を人間が生きて理解する事の重要さを強く感じました。
  
今、ここに、すべて過去の体験が繋がってきたように思われるのです。
この大きな時代の変換期にこの教えを通じて多くの方々と繋がり、そして、共に宇宙の源につながることができたらこんなに嬉しいことはありません。 
 
 
 
《 編集後記 》

このたび講師としてインタビュー掲載しました田代先生との出会いは2005年でした。 
以来、公私ともに様々な角度からご指導を頂いてきた私の尊敬する人生の師です。
   

このたび より多くの方々とその「教え」と「心身の健康法」 を分かち合いたいという思いで、
教室としてご指導をいただけないものかとお願いをしたところ
快くお引き受けいただきました。
導引とは呼吸を通じて宇宙とつながり自分で自分をコントロールする術を得ること、
今、 この激動の時代に最も重要なことではないかと
あらためて貴重なお話をおうかがいすることができて心より感謝いたします。

今回ここに掲載させていただきましたお話は、
導引についてのお話に絞らせていただきましたが、
豆腐職人(匠)として人生をお話くださる時の田代先生のお顔は
まさに仙人の気配が漂い、
私がいつも興味深く引き込まれてしまう時間なのです。
たくさんの方と教室でご一緒できることを願っています。

2013年7月 取材執筆 緒方章江